階段のまんなか

東南アジアに渡った年ついに自分の心と向き合わざるを得なくなった。心理カウンセリング、ヒーリング、レイキ、瞑想など。最近は思いつくままいろいろと。

書くことと「書く瞑想」ワークショップとブログ

ネット歴は長いけれど、ブログやホームページというものを避けてました。

文章力まったく自信がないうえに、ブログというからには最低限、自己開示が必要になってくるわけで、私にはどうやらこの自分を人に知ってもらう、ということに関してまるで強力な禁止の魔法が全身にかかっていたみたいだった。

 

ROM専

人生のついこの前までの長きにわたりROM専。

 

ところが、本当にけっこう必要に迫られてということもあって、本格的にブログを始めてしまったわけなのだ。

始めてはみたのものの、トラックバックって?ブログ仲間?アーカイブ?PCと違うスマホの画面の設定???

とかなんとか、技術的なことも、交流する上でのマナーやら掟やらブログの仕様やらも、なにからなにまで無知なことだらけ。

ここですでにいつものように投げたくなっている上に、

さらに一番の問題なのが

 

何を書くのか

 

そもそも、“書く”ということ自体、わたしにとって強力セキュリティをほどこされた高級マンションの壁のごとく、高い。

 

過去にも、ネットをやっていれば必ず目にするブログたちに興味を惹かれることは、やっぱりあったりするのに、

書く、と思い浮かべたとたん、この壁の登場に加えて、手すりどころか、足場が、とっかかりが、まったく浮かばない。

 

日記、日記、、、、、、日記ってどうやって書くんだっけーみたいな…

 

書けない人の心境(


「書く瞑想」というものがあるのを知ったのは去年の秋。(英語でもそのまま“Writing Meditation"でした)

なんでも、頭に浮かんだこと思ったことを、一時間とかの間にとにかくペンを止めずに書いて書き続ける、というセラピーワークだそうで

 

なんどか参加することになった。

 

ワークショップなので20人くらいの人たちが集まり、ファシリエイターの合図で、一斉に書き始める。

テーマはおおざっぱなに決められるときもあれば、なんでもイイヨというときも。

 

ときおり「ペンをとめないで。なんでもいいからとにかくペンをとめないこと。考えなくてもいいくらい」という声が(だけが)響くなか、みんな、もくもく、かりかりかり。。

書いたものは基本発表しない。

 

これはすごい効果だった。

 

少なくとも、私には中学生以来手が出なかった自分向けのただの日記を書くのに絶大な効果になった。

だって、それ以来、毎日書くのが待ちきれない。

お茶やご飯や買い物にいくのも、紙のノートを欠かさず持参。

パソコンに書けるときはパソコンに、持ち歩けないときはノートを持参して、ヒマがあれば書くようになる。

このワークショップでは本当に楽にしてもらったと思う。

書けないってすごく苦しかったから・・

 

ともかく、でも、ただしでなのすね。

あくまで“書きっぱなし”の言ってみれば落書きに近い、誰にも見せられないシロモノ、ほとんど声にならない、読み返すと自分ですら気づいていないような心の叫びに近いものが出てきたりする。

ワークショップではむしろそこの部分にフォーカスを当てることに、大きな意図があるのだけれど。

 

そうなると、超初心者の、赤裸々な心の叫びをブログにしてみせる超難度スキルも度胸もまだ圧倒的に不足している新米がブログを書くのでは若干話が違うのだ。

 

そんな新米ブロガーの私がブログ開始。

現実的に、そしてなにより王道としては、ここはやっぱり一番てっとり早いのは、活躍している方たちのページを参考にさせてもらうこと、とやっぱりなって、少しずつ他の方のブログを読み始めてみる。

そうなると、 選ぶテーマも自分にとっての旬なテーマへと自然に導かれていくのですが、それで、かなりすぐにオランダですでに生活されている方とか、ありえないとほどモノを“捨てた”方とかすぐに見つかり、これがまた、

 

面白いじゃないですかー

 

むさぼるように読みまくって

 

そして刺激もたくさん受けて。

みんな同じなんだな、と思ったり、こんなすごいことできる人がいる!と感心したり、それはそれは、今のところとても大きな大きな勇気になっているものです。

 

そして、まずは自分が書こうと思わなかったら、このブログたちにはたぶん会えずにいたままだったろうな、と思うと、ね

 

あー今まで私なんて損してきたんだろうー!

 

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