階段のまんなか

東南アジアに渡った年ついに自分の心と向き合わざるを得なくなった。心理カウンセリング、ヒーリング、レイキ、瞑想など。最近は思いつくままいろいろと。

昭和の家

今やっておきたいことが強く心に浮かぶ。
それをやるためには、他の何もいらないと思えるほどに強く。
他のことをする時間はなくてもいい、そんな風に生きている。
 
外からみれば、なにかを"犠牲"にしているように見えるのだろうか。
少なくとも、過去の私は"犠牲"としか見ていなかったように思う。
 
今はただ不要なものだ、と思っているみたいだった。
たまに外出してもいいし、好きなものを買ったりしてもいいんだろう。でも、なくてもまったくかまわなかった。
息抜きする必要がなかった。今は。
 
あの浪費家で移り気だった私が、こんな風に思う日が来るなんてと、ちょっとおかしくなる。
 
そして、もっとはやくそんな風に思えていたら、私の人生はどんなだっただろうかとも。
 
帰ってきてちょうど3ヶ月。
やっぱり心の区切りは3ヶ月なんだなと思う。
まだ、弟の住む実家(両親の家)に居候だから、仮の宿ではあるのだけれど。
 
久しぶりの空間
 
そこは、過去の私の悲しみ、嘆き、怒り、苛立ち、恐れ、怯え、がたくさん詰まっているところ。
 
25歳で家を出て、31のときに一度3週間ほど寝泊りしただけで、以来、父が病気のときに一度訪れた以外には、4年前父が死んだときまで一度として泊まったことがなかった、私が生まれ育った家。
 
戦中生まれの両親はモノが捨てられなかった。
晩年、父が一人で住んだ部屋の日常品は、なんと私がまだ家に居た頃の(30年以上も前の)モノで溢れている。
 
家の改築もしていない、昭和で時が止まった家
 
そんなモノからあふれ出てくるあの頃の記憶たち。
でも、もうそんな記憶が私の胸を切り裂くことはなかった。
思い出の景色は、淡々と目の前を通り過ぎていくだけだった。涙はまったく流れない。
 
そして、その父の声が聞こえてくるようなモノを、不要と思えるものだけ、そして私の少ない荷物を収納できるぶんだけ、捨てていった。
大量の古びた下着、シーツ、タオル、光熱費や病院の請求書や処方箋や飲み残しの薬。すべて日付は2012年までのものだ。
 
開け放した窓、片付いた古い木の柱や天井板の色、私をずっと支配してきた闇の中心だった部屋だった。それが、なんともいえない柔らかい木の温もりが滲んできた気がしたときは、正直驚いて、同じ部屋なのかと、何度も目を凝らしながら、しばらく部屋の真ん中に立ちつくした。
 
父が使っていたモノであふれた棚から、チラシや雑誌、VHSテープクリーナー、スプレー缶を処分してふきそうじしたあとに、f:id:mokomarutan:20151113003607j:plainで捨てずに持ってきていた自分のものを、そこに置いていく。

 
まるで、古いファイルを上書きするように

 

f:id:mokomarutan:20151113003607j:plainでモノを捨てたとき残したものばかりだから、見ているだけで嬉しくなったりわくわくしたりやさしい気持ちになったりするものしかない。

それを、昭和で時が止まったその父の部屋の父が使っていた棚に、ひとつ、ふたつと置いていく。
 
壁にかけたお気に入りの麦藁帽子からは、f:id:mokomarutan:20160211233807j:plainで暑さとスコールの中、草むしりをしていたとき、愛や涙を分け合った人たちがよく似合ってるよと笑いかけてくれた声が聞こえてくる。

 
誕生日の日にそっと部屋の外に置かれていた赤いf:id:mokomarutan:20151113003607j:plainショールは、窓にかけると、一緒に入っていたノートの切れはしで書かれた誕生日メッセージを思い出す。

 
直伝霊気の文字と蝶の模様の入った可愛い小さい日本手拭い。
レイキの先生が渡してくれたいい匂いの手作りアロマのオイル瓶。
 
そして、20代の頃にロサンゼルスの雑貨屋で買って以来、ずっと新品のまま使うことがなかった萌黄色と瑠璃色の布地は、いま、古い木造家屋の窓辺と棚の下半分にようやく飾られている。

20代のこの時期は私の幸せだった頃だった。その幸せは過ぎ去り、もう二度と手に入れることはないだろうと、最近までその時期の思い出がいっぱいつまったものを見続けることがずっとできなかった。

 

今だけしか出来ない、そして心からやりたいことが何であるのか、
長い間、見つけたくても見つからなかったのに、気づいてしまえば、それはなんてあっけないものなんだろう。
 
気がつけば時を忘れてその作業に没頭する。もうずっと毎日朝まで起きてやっている。寝る時間が惜しいと思ってる自分に、もう何回驚くんだろう。あれほど寝るのが好きだったのに。
 
寝れば心を麻痺させることができたからだ、と思い浮かぶときだけ、つかの間、酷使してきた心への痛ましさを思い出す。
 
今まで私には絶対必要と思っていたものなんて、本当な何も必要なんかじゃなかった。
必要じゃないものを追い求めることで、私の心からの望みを見捨て続けていたのは私。私自身を見捨てていた私。
 
もう二度と私は私の心を手放すことはない
いつまでも私は私と一緒だ

 

窓に目をやると、夏の早朝の朝はもうすっかりい明けていて、かけた赤いショールが湿気をおびた風にゆれていた。
向こうに見える通りをはさんだ新築の家の白とレンガ色の壁からは、もう昭和の色は映らない。

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