階段のまんなか

東南アジアに渡った年ついに自分の心と向き合わざるを得なくなった。心理カウンセリング、ヒーリング、レイキ、瞑想など。最近は思いつくままいろいろと。

本当の自分になるために 10 - 人生脚本を繰り返す(後)

人生脚本を繰り返す

【人生脚本】

交流分析では、人は、とても幼い頃に、世界と自分の立場を理解しようとして、自分に対する人生の脚本を書く。(略)大人になっても気づかないものである。(wiki)

 

薄暗い室内

幻想を誘うライトに鋭いギターの音が響く
もう何度も聞いてそらんじている曲

 

Aさんの汗にぬれた髪が閉じた目の上に揺れる

50人くらいだろうか。ネットでつながっている濃いファンに囲まれ、誰もが知り合いのような空気が満ちる少し特殊なコンサートの雰囲気。

 

何度もステージを降りてくるAさんは、それほど広くないライブ会場ではいつもすぐ近くまでくる。目は合わない。ストイックな彼独特のスタイルは目をつぶり下を向きがちだけれど、彼が近くに来るたびに、なにかほとんどピリピリするような空気も感じていた。

手を伸ばせばすぐに届くのに、私も手をさし出せない。

 

やがて、ライブは終わりに近づき、ステージからメンバー全員が降りての恒例になったパフォーマンス。Aさんは、一人、ドラムの上に立ち会場に語り、声を投げかける。最後の歌が始まると、すぐ近くにいたお気に入りのファンの女の子の手をとりドラムの狭い上に引き上げ、一緒に立つ。狭いから抱き合うようになる。彼のライブのクライマックスの定番だった。Aさんのライブには何年も前からずっと通っていて、会場の誰もが知っている一番のファンの女性だ。

 

みんなが輪になり、演奏するメンバーとドラムの上に立つ二人を囲み、両手を上げ声を枯らす。薄暗い幻想的な光と音の洪水の中で、水に映った残像のようにすべての人がゆらゆらと揺れているようだった。

 

ショーはすばらしかった。なにより、SNSやメールで個人の人となりをよく知る人の声で聴く生演奏の音楽は、格別だった。
ドラムの上の抱き合う二人を見つめながら、私は、ああ、また同じことが起こったのだ、と感じていた。

 

それは、長い間、私の中で「自分を責め立てる」声だった。

"どうしてこんな思いをしなければならないのだろう"という嘆きは、起こった出来事、さらには運命みたいなものを恨む言葉であって、誰かや何かを責めている。本当は、自分を責めている。

 

それが、このとき、たぶん初めて「こんな思いを」ではなく、「ある事が起こった」と、とらえていたと今でも確信している。ある事とは「かつて起こった苦しい事」だ。そして、それがアクシデントのように「降りかかった」のではなく、今、同じように苦しい状況に陥ったのであれば、確かに「引き寄せ」だった。

 

同じ事、それはほんのわずか前に、はじめはやさしかった彼の愛情が、他人へ移っていくのを目撃する状況でありながら、彼からの束縛から逃れられなかったダブルバインド。f:id:mokomarutan:20151113003607j:plainの部屋で心が崩壊するような日々を味わい、自分の人生脚本にたどり着くためのトリガーとなったあの出来事。

 

引き寄せた―

「私が」と、思えるようになったのは、それでも、これからさらに年単位の時間が必要だったけれど。

 

忘れていた脚本を探して

ライブが終わって、メンバーはステージに残り、日本全国から集まったファンと談笑し、写真を取り合っていた。AさんのSNSでつながり、すでに何度もライブに足を運んでいるファン同士は、すでにみな顔見知り同士だ。他人ばかりの集まりの通常のバンドのライブと比較すれば、たぶん趣きが違うアットホームな雰囲気、言葉を変えれば、一人参加の新参には敷居が高くなるのは自然なことだった。


しばらく距離を置いた場所から、帰りがたく立ちすくんでいたけれど、連れが誰もいない私は、Aさんと一緒に写真をとってもらうきっかけも勇気も諦め、Aさんと挨拶くらい交わしたかったな、と思いながらも、最後まで一言も言葉を交わすことなく雨の中、会場を後にした。 

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家に帰り、翌日の落ち着いた頃に、ダイブをする。

 

お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい
お姉ちゃんだから、ひとりでも大丈夫よね

 

私には弟が二人いた。姉だから、といって、弟になにかを譲らなければならないことは、まるで空気のように自然な日常事になっていた。弟との出来事との関係は、N相談室でのカウンセリングで初めて指摘されたことだった。母や、時として父、親戚の叔父叔母とは辛かった記憶も比較的よく覚えていて、言われるのはわかるのだったけれど、弟?なぜ?と、当初は戸惑った。

 

そして、指摘されて、「気持ちを感じてもいいのだ」という許可を与えられた古い記憶が、古い傷が、よみがえってくる。理不尽に、弟に両親の愛を奪われる悔しさ悲しさだ。そんな時、本当に心とつながるとはこういうことなんだ、と実感する。あれほど悲しかったのに、カウンセリングをはじめる前にはもうすっかり忘れていたのだから。

 

その気持ちを、忘れないようにしていつまでも恨みつらみに思う、ということではない。気持ちは、「自分によって表現されないと消えないのだ」。植えつけられるのは、そんな風に感じるのはよくない、という罪悪感。植えつけられた罪悪感は、やがて自分自身への洗脳の声となる。

 

けれど、人の感情はコントロールできない

 

忘れたと思っていた感情は決して消えない。表現されて消化(認知)されないかぎり、ずっと残り続け、それはやがて蓄積されて火山マグマのように、圧力に耐えられなくなって噴出す。爆発が大きければ、自分に向かう自傷行為や他人に向かう犯罪行為ともなる。だから、一人で怒りや悔しさをひとつひとつ口に出して「自分の耳」に聞かせることが、自分自身だけでなく、周囲の他人をも救うことにつながる、と。

 

そして嫌なことをやめる

その夏、自分を救う、共依存から離れる、と決意していた10月だった。すぐにAさんから「離れよう」と思った。

迷いがなかった。罪悪感も何もない。

自分の気持ちははっきりと「嫌」と言っているのを「聴く」ことができていた。

 

それを考えたとき、ふと、これは私が自分で選択して、自分で「行動」したことで(ライブに行ったこと)、思い残すことが何もないんだ、と気づいた。

やりたいことを行動したら、もう、結果に執着していなかった。

 

本当の自分になるために 11 - やりたいこと
本当の自分になるために 9 - 人生脚本を繰り返す(前)
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