階段のまんなか

東南アジアに渡った年ついに自分の心と向き合わざるを得なくなった。心理カウンセリング、ヒーリング、レイキ、瞑想など。最近は思いつくままいろいろと。

ブログのテーマ

ブログは、本格的にはじめてまだ2ヶ月なので、いろいろと試行錯誤中です。

 

最初の頃に書いたように、どちらが好きかといえば、ビデオとか画像編集(上手いという意味ではないデス)のほうが、書くことより好きなんですね。

2ヶ月、けっこう真剣に書くことに向き合ってきて、今までの人生経験も含めると、書く事がきらいなんじゃなくて、絵を描くことや動画的なものがより好きなんだと、結局人生なんども通ってきたいつもの結論にたどりついたところだったり。。

 

好きだから、はかどるし、良く出来ても出来なくても時間を忘れてやってる。

 

書くのは・・・なにしろ遅いです(💧)

書きたいことはけっこうたくさんあるのに。

 

このブログをはじめたときも、少し迷ってて、今でもだけれど、画像や動画っぽいものを中心にしたブログにしようかな、とか、これまでのワークショップのことにしぼろうか、とか、レイキだけにしようとか、もう、ただの日記でいいや、とか、揺れ動いています。

 

ただ、私の場合、本当に、過去にホームページも掲示板もなにも経験がなくて、まさにツイッターの140文字以上の文章を書いて公開したことがありません。

最初は何でも経験だし、記事は記事自体が自分の資産となってずっと残る、というのが、ブログをやろうと思った大きな動機でした。

大切な私の一部として積み上げていきたかったら、書くこともぜひ続けたい。

そうしたら、やっぱり、きちんとブログを分けたほうがいいのかな、とかとか。

 

でも、ひとつのテーマだけ書いていると、

 

楽しくない

 

わけです

 

じっさい、今、編集写真置き場としてもうひとつのブログもリンクに置いていて、こっちの更新のほうがすごくはかどったりしてますが ( ̄▽ ̄;)

こちらと、文章のメインブログを分けるだけで、もうすでに煩雑に感じたりしてて。

 

メインブログにぜんぶ書くとなると、今度はブログのテーマがなかなかひとつの方向に当然いかなくて、案の定まとまりのなさに、我ながら感心するしだいです。

 

ブログって、筆者の性格がまんま出るのねって実地で学んだのはよかったと言えますかね。。

 

テーマが決まってないブログとは、こんなんなるんだ、といつまでも感心してる場合でもないので、他の方のブログをいろいろ拝見させて頂いたりもするのだけれど、ブログの書きはじめに関しては、最初の数ヶ月は多かれ少なかれ厳しい、と、誰もが通ってきた道、ともかく継続、ということは分かってきて、それはそれで少し(かなり)励まされます。

 

が、確かに、「ブログ」、これは孤独な作業、自分との闘い、修行のような側面、本当にありそうです。

 

好きでなければ続かない

行き着く先は、やっぱりここ、かな

たどりつくのは自分の心の内。

 

好きなこととは、

「本当の(ありのままの)自分が、やりたいこと、であり好きなこと」

 

本当の自分、ありのままの自分

 

そんな言葉と向きあわざるをえなくなったのは三年前。

日本を離れる頃までの私は、やりたいのにやらない(やってはいけない)、やりたくないのにやらなければならない、という生き方をずいぶんとしてきたんですね。

 

親の期待だったり、自分を認めてもらいたい承認要求だったり。

 

あんまり、長い間そんな風に生きていると、本当にやりたいことや、やりたくないことが、もうわからなくなる。

 

そういえば、「書くこと」も以前は嫌いだと思ってたことのひとつだったな、と思い出してみれば、

「好きなこと」

が何なのか、じつは今でもまだ答えを出すことができないとしても、

 

今の私は、

 

なにかが好きなフリはやめる

そして、

なにかが嫌いなフリ、もやめて、

 

気になることはやってみる

 

を、選ぶことはできそうです。

 

去年、書くことが苦手だった私の転機になったワークショップについてはこちらに書いてます 

www.mokomaru.space

 

と、そんなところまで広がったところで、まあこのまま私にできる範囲の(よくわからない)フリースタイルなブログでとりあえず続けてみようか、続けるのがまずは第一だしネ、となんとなく収まりがついたようなつかないようなところです。

 

ただし、書きやすいという意味では、テーマがあるとやっぱりなにかとよさげですね。。

 

 

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