階段のまんなか

東南アジアに渡った年ついに自分の心と向き合わざるを得なくなった。心理カウンセリング、ヒーリング、レイキ、瞑想など。最近は思いつくままいろいろと。

本当の自分になるために 9 - 人生脚本を繰り返す(前)

生きてみたい

あるがままの自分の人生を生きてみたかった。共依存でない人とのつながり、とはどんなものなのか、味わって生きてみたかった。

 

共依存の人間関係に心が占められている間は、他の人が入り込むスペースがない、と、そう言われてみれば当然だとも思った。すると、すっかり忘れていた記憶と一緒に浮かんでくる顔があった。人生のどこかで、つかの間、出会い通り過ぎていった人たち。友人とまでいかなかったのに、不思議と何の努力の必要なく打ち解けたり、気がついたら誰にも話したようなことがないことで笑いあったりしていた、中学校の隣の席の女の子や会社員の頃の同期。

 

人の脳は見たいものしか実際には見ていない、ということを知っていったことは、とても重要な学びだった。最近知った脳科学を活用した認知心理学でいうストコーマ、もしくはジョハリの窓。生きていく上で、こんな大切なことを私たちは何一つ学ばないで育つなんて。

ずっと、世の中には、私にはそれしか見えていない(共依存の)人間関係だけがすべてだ、と思い込んでいた。

 

それを、見たい、と切実に思った。そして、本当に「生きてみたい」と思った。

体にしみついた生きる癖、格闘になるだろう。それでも、たとえ時間がかかるとしても。

 

あるがままの自分に戻るというのは、誰かから植えつけられた信念や思想、"常識"でなく、本来の自分自身が持つ気持ちで生きることだ。他人の思想を自分のものだと思い込んで生きていたら、まずは、自分がどんな気持ちなのか知らない、もしくは無意識で抑圧していたはずだった。それを、知ることが第一歩だった。

 

その最も効果的で唯一といっていい方法は、人との関わりの中で、嫌な気持ちや、もやもやするネガティブな感情が湧いたときに、その感情の"原点"に向かったダイビングをする、ただそれだけだった。「原点とは、多くの場合、幼少の頃の事であることがほとんどなので、最初は子供の頃の親とのかかわりを思い返してみることと考えればいいです」と、どこか飄々とした雰囲気を漂わせながら話すカウンセラーの言葉を、忘れないように頭の中で何度も繰り返し思い返しながら。英語圏の人たちの中だけで生活していたときは、これを"トリガー"といっていた。感情の引き金になる、という日本語以上に文字通りの言葉だと思った。

 

"信頼していた人に裏切られた、傷つけられた”と思ったときは、憎しみや怒りが大きい。共依存を感じている他人の言動は常にトリガーとなって、心の奥底に封じ込めた過去の怒りや憎しみが呼び覚まされるからであり、それは、本当は、親への深い怒り、憎しみの大きさだ、と最初に認識する必要があった。

 

"ダイブ"(自分の気持ちとの向きあい)をはじめた最初の頃は、記憶をさぐれば、事あるごとに母親に辛くあたられた記憶ばかりが甦って、一日として涙が乾く日はなかったように思う。カウンセリングで開いた心の扉から、今まで、なかったことにしたかったり、たいしたことでないと思い込もうとしていた、怒り、悲しみ、嘆きなど湧き上がる感情は、吐き出しても吐き出しても溢れ出てきて、そのすべてが混ざったような突き上げてくるものを、そのたびに消化していくのにこの頃は精一杯だった。

 

ちなみに、この頃から数ヶ月経ってから、上座部仏教のヴィパサナー瞑想を学んだときには、瞑想のプロセスがこの心理カウンセリングでのダイブ方法とよく似ていることにとても驚いた。日本を離れようと思った頃、もう鉛を込めたような重い頭と心を抱えながら、ヴィパサナー瞑想のメッカであるf:id:mokomarutan:20151113003607j:plainを選んだのは、なにかよく分からない力でも働いていたのか、と思わずにはいられなかった。 

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初めて会うAさん

Aさんとの個人メールのやりとりが頻繁になってきていたこの頃、SNSの同じアカウントでもAさんとはつながっていたので、私がこじれていたインターネット上での“ある人”との様子を、うっすらと気づいているようなフシがあった気がしていた。8月の夏のカウンセリングの後、再びf:id:mokomarutan:20151113003607j:plainの一人の部屋で、苦しくてベットでうずくまっていたある日、偶然とは思えないタイミングでメッセージが届いたとき、それがあまりに嬉しくて、最初のカウンセラーから薦められていた"幸せなことがあったときに記録するノート”に書き込んでいる。カウンセリングで「やってみます」といったにもかかわらず、手を付けられなかった、この"幸せノート"。その最初の一ページはAさんになった。Aさんとのかかわりで、そんな、"偶然"がだんだん増えてきていた気がした。

 

誰にも本当の事が言えない中で、「わかってくれる人が現れた」と抑えようもなく弾む心。

 

そのAさんが一年ぶりくらいに、大阪と東京でライブをやることを8月の終わり頃フェイスブックで知った。しかも、日程は父の一回忌のある10月だった。

 

本当の自分になるために 10 - 人生脚本を繰り返す(後)
本当の自分になるために 8 - すべてが共依存
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