階段のまんなか

東南アジアに渡った年ついに自分の心と向き合わざるを得なくなった。心理カウンセリング、ヒーリング、レイキ、瞑想など。最近は思いつくままいろいろと。

本当の自分になるために 8 - すべてが共依存

苦労した母の子供時代は、空襲や飢えで死と隣り合わせだった。結婚するまでは長女として家計を支え、結婚後は共働きで3人の子供を育てた母。「お前たちは自分に比べ、はるかに恵まれている」「私が働くのは子供たちのため」が口癖だった。

 

私(たち)のために“今も”母が辛い思いをしている

その母を助けなければならない(離れてはいけない)

 

物心つくころから、その母親に、甘えてまとわりついた記憶がない私

そばに寄れば怒られるのがわかっていた

家でいつも不機嫌だったのは、私(たち)のせい

 

あなたのために、あなたを思うからこそ、という「言葉」と、近寄れば拒絶するという矛盾した「行動(非言語的)」によるメタメッセージ。どっちのメッセージにも従うことができないで、身動きがとれなくなる。

 

子は親を無条件で愛するという。メタメッセージの意味を知り、母親が共依存だったこと、本当はメタメッセージで私を拒絶していたことを、知る。カウンセリングで開いた最初の私の心の扉から、溢れて出てきた涙は、悲しみ、嘆き、悔しさ、辛さ、怒りだけでなく、やっと出口を見つけて、開放された「抑圧された気持ち」の、それは確かに歓喜だった。インナーチャイルドの歓喜だった。

この日のカウンセリングが終わった帰りの電話の中で、いつまでも止まらなかった涙が心に広がった暖かい感触を、たぶん一生忘れないだろう。

 

すべてが共依存

親子の関係がその後の他人との関係にスライドする。だから、かつて、かかわってきた友人、恋人、離婚した夫、どうやら、ほぼすべての関係で共依存だった、と気づくのは、それほど時間はかからなかった。人間関係は決して楽なものでなかったから。それもそのはず、すべて共依存だったからか。

 

2つの矛盾するメッセージを母親から常に受け取っていたことで、他人との関係でも、母親と同じように、2つの矛盾するメッセージを送る人に引き寄せられていっていたのか。

 

薄皮を一枚一枚はがしていくような気づき。恐ろしくひどく緩慢な動作で、やっと一枚がはらっと剝がれたと思っても、まだまだたくさんの表皮が中から現れる。だから、一度に「わかった。これですべてだ」とはならない。そうはならないということも、たぶんずいぶん後になってからやっと納得するようになったというか。悲しい、辛い、苦しい、というより、ずっとずっと抑えていたのは、怒りだったと、ちゃんと気づいたのはいつの頃だったろうか。

 

自分で、怒りだった、と気がつかないと、怒りの吐き出しができない。怒りをまず処理していかないと、その先の感情(苦しみや悲しみ、嘆き、惨めな気持ちなど)にたどり着けない。そういわれた。

なにか苛立ったり苦しかったりする気持ちには、必ず、過去にその元となる、親との出来事の記憶があるはずなのだそうだ。そのオリジナルの感情にたどりつかないかぎり、他人といつまでも「代償」関係で同じことが繰り返される。人を変え、場所を変えても、何度も何度も同じような苦しかったり辛かったりが人生で繰り返される、というわけだった。

 

苦しかった日々、それをなんとかしたくて、カンセラーの言葉にすがり、ただ信じてついていった。まずは、依存元を断つこと。そして湧いてくる怒りは、(抑え込むのではなく)一人で処理できるものであること。

 

怒りの処理、断ちたい共依存

教えてもらった怒りの処理方法は簡単だった。誰もいないところ、誰にも聞かれないところ(ここが重要なのだけれど)で、思う存分、湧いてきた怒りを言葉にして吐き出す、ただそれだけだった。

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どんなに汚い言葉でもかまわない。声が枯れるほど叫んでいい。ただ、なるべく気持ちを言葉にして言うこと。「~であるべき」などでなく「いやだ、嫌いだ、ふざけるな」という自分がどう思ったかの感情の言葉。日本ではカラオケルームがいいというけれど、f:id:mokomarutan:20151113003607j:plainではそれがない。部屋の壁も薄い。それで、早朝の散歩で、誰もいない街の広い通りで、毎日、歩きながら罵りまくった。泣きながら、涙もとめなくていい。泣きたいだけ泣き叫んでいい。気持ちを言葉にしながら。

 

この方法、なんて効果があるのだろう、と思った。本当に、憑き物が落ちたようになる。ただ、しばらくは、なにかあればすぐに涙がこみ上げてきて、傍目にはどうしても情緒不安定さが丸出しになってしまうのだったけれど。

 

問題は、依存元を断つ、だった。

たぶん、携帯電話もパソコンもすべてを捨ててしまえば、楽だったのかもしれない。でも、今、生活のほとんどがインターネット上の連絡や処理が主流だった。ルアンプラバンの旅で思い知らされたのは、ほんの数日ならまだしも、日常生活では、もう無尽蔵のネット情報に変わるものを、今さら紙だけで過ごすことなど全く無理な話だった。

 

パソコンやスマートフォンを持っていれば、ルアンプラバンから戻って、再び、依存する生活にもどってしまった。どうしたら手離せるのだろう、と、答えの出ない問いが頭の中をかけめぐる。

 

そんな中、「自分の好きなこと、やりたいことをやってみよう」という気持ちには、それでもなっていた。日本に一時帰国していたときに、日本で参加できるセミナーに参加してみた。このとき興味が持てるものといったら、こんなことくらいしか思い浮かばなかったせいもあった。

 

ヒーリングや心の癒し方などのセミナーでは、参加者同士、講師も含め親しくなりやすい。そして、決して安価でないセミナー修了者のためには、専用のグループにも加われるようになる。それまで、使っていたフェイスブックのアカウントを消して、新しいアカウントをつくり直し、最初の友達申請が、このセミナーで知り合った人たちで、久しぶりに動き出した交友関係だった。

 

それまで、たいして熱意のもてなかったSNSも使うようになった。 誰かへの依存を断つために、違う人(物事)へ依存していく。気づいてはいた気がする。でも、そういう選択があっていいという言葉にすがった。

何かのささえがなければ、やっぱりいても立ってもいられない。でも、なんとか、少しずつでも、自律の階段を登っていけるのなら、と。

 

なにか、とてもなじみのある嫌悪感が湧き上がる。

その嫌悪感を、私は感じていないものにしようとしていたのは、やっぱりまだ無意識だった。

 

ある日、誰かから心のこもったメールを受け取った。不思議な縁で、数年前から定期的にメールをやりとりしていた人、Aさんといった。プロとして舞台に立つ人だったけれど、ファンやSNSで交流した人を大切にしていて、一人ひとりに丁寧なメッセージをいつも送るような人だった。だから、社交辞令とファンサービスの一部だったとしても、個人メッセージはどんな形であれ、うれしいものだった。そして、いつも、彼の言葉は暖かかった。

 

本当の自分になるために 9 - 人生脚本を繰り返す(前)
本当の自分になるために 7 - 怒れる心への扉
本当の自分になるために 目次

 

 

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