階段のまんなか

東南アジアに渡った年ついに自分の心と向き合わざるを得なくなった。心理カウンセリング、ヒーリング、レイキ、瞑想など。最近は思いつくままいろいろと。

本当の自分になるために 4 - ダブルバインド

カウンセラーの「期待」を裏切ってはいけない

日本人は、西洋人と比べて、自分を責める傾向が強いという。

私の話をじっくり聞いてくれて「自分を責めないように」というカウンセラーの存在は力強い支えになった。
 

そんな助言とともに、じっくり話を聴いてくれるカウンセラーを信頼し、カウンセリングを2回、3回と重ねたときは、どこかの大穴にでも落ち続けていた体がやっと止まったような、今まで見えなかった希望がもう一度見えるような気がして、このときの安堵はとても嬉しいものだった。

 

このとき受けていたカウンセラーのスケジュールは、だいたい一ヶ月先まで埋まっていたこともあって(ネットで見ることができる)、今カウンセリングが必要かどうか、でなく、一ヵ月後に必要になりそうかどうか、で予約を入れていた。

 

すると、一ヶ月先までに、前回のアドバイスの「成果」をあげなていなければならない

 

あたりまえのようにそんな考えをはじめている自分。

 

信頼するカウンセラーの「期待」を裏切ってはいけない

 

仮に、なんとなく、カウンセラーに何か言い表せない威圧感を感じ始めていたことを認識することが、この時できたとしても、きっと、それは何かがうまくい原因は自分に問題があるからだ(自分が悪いからだ)、と切って捨てるように考えていただろう。

慣れ親しんだ思考に心は、「自分を責めないように」という助言とは矛盾することをもう新しいカウンセラーとの関係で考えているなんて、気づきもせずに

 

居心地の悪さが意識にすらのぼらないのは、自分の気持ちを自分で重要視していない悲しい証だった。

 

この記事を書き始めて、当時のツイッター(今は放置状態のアカウント)をさかのぼってみた。

ほぼ毎日のようなつぶやき。

 

楽しそうな自分。

よく人と(自分から)からむ自分。
明るい自分。

楽しい毎日を送っている可愛い自分、がまさに演じられている大舞台。

 

本当の自分、とか、自分らしさ、という言葉の意味を知っていたつもりだった。だから使い古した言葉とさえ思っていた。

あまりに長い間、仮面をかぶって生きていると、もうそれが自分の本当の顔だと思いこんでいる。
本当に、自分と思っていたのか。
「それが本当の顔だよ」と、「本当の私」に向かって、誰かがささやいている声が、どこかにあったのではなかったか。

 

たどりついたダブルバインド

まったくの偶然だった。

確か、当時の日本とアメリカの外交関係に関する誰かのツイートだったと思う。

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ダブルバインドという言葉。

 

強く惹き付けられ、リンクをたどり、その後にインターネットで言葉の意味を調べた。

日本語で二重拘束という意味になるこの言葉。


どうして政府間の関係を語ったこの言葉が、自分に当てはまると考えたのかは、今となってみるとただ不思議なだけだ。

言葉を検索すると同時にすぐにヒットするブログのページあった。やっぱり心理カウンセリングを行うカウンセラーのブログだ。目を惹くタイトルだった。そして、そこは、これまで見てきた癒しの言葉が中心だったカンセラーのものとは一線を画していた。

 

「統合失調症を引き起こすといわれるダブルバインド」

 

憑かれたように、ダブルバインドという言葉の記事の項目を夢中で読む。そして、あっと思った。実際に声が出た気がした。

 

ダブルバインドとは「命令に従わないことを禁じ、異議を申し立てることを禁じ、さらにその関係者から逃げることを禁じる、という心理コントロールのことを言い、パワーハラスメントやモラルハラスメントの構造の中でよく見られる」

 

そんな内容のページを穴の空くほど凝視する。

ダブルバインドの定義は、私には少し難解なところがあって、ここで解説できる力を持たないのだけれど、簡単に言うと、二重三重に言葉により人の心を拘束する心理コントロールというものが存在すること、そして、なにより、それが血を分けた肉親、ほとんどの場合が親から子へ行われることから始まると書かれている事実に対して、自分の内側の何かが大きくはじけた。その強さに驚いていた。

 

本当の自分になるために 3 - 自己開示できない 
本当の自分になるために 5 - 動き出した体(前)

本当の自分になるために 目次 

 

 

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