本当の自分になるために 3 - 自己開示できない
自己開示できない
私にはこの頃、誰にも相談できないある問題を抱えていた。
この不安定な精神状態は、少しずつ気づかないうちに長い年月の中で、自分の中で蓄積されていったもの、と今では分かるものの、大きなきっかけ、トリガーとなったのはこの頃の「ある人との関係」だった。
それでも、個人的な事情でそれを他人に話すことができなかった。
スカイプで出来るという無料カウンセリングも試してみた。話を聴いてくれる人がいる、というのだけでもずいぶんと気持ちは違う。
でも、一番聴いてほしいことに触れないで、人からの共感を得られることはありえない。なにより、共有するからこそ共感もされているのだということを自分自身が一番納得していないからだ。
一人では困難だからこそ手助けをしてほしい願いながら、相手へ自己開示ができない絶望的な自分の立ち位置を思うと、心はいつも引き裂かれそうになる。
一人で学ぶことはできないのか。 自分でなんとかできないものか。
一人でなんとかする方法をネットで悲壮な気持ちで探しまわる。でも、目に付くのはグループカウンセリング、グループロールプレイ、グループヒーリング などの言葉ばかりが。
「心の癒しの重要な第一歩は自己開示であり、人は人の中でしか癒されない」
そんなどこかのカウンセラーかセラピストが書いた文字が心を突き刺していく。
この頃、時間をかけて読めていたものは、ネットで見つけて追っていたある心理カウン セラーのブログで、心理カウンセリングを受けたいと思っている人向けに、共依存やインナーチャイルドなど基 本的なことを丁寧に解説した過去ログがあった。
反面、ストーリー性のある読み物はたとえニュースであってもまったく受け付けなかった。映画やドラマは最初の一分くらいで落ち着かなくなって結局閉じてしまう。ツイッタ ーやYOUTUBE、それも5分程度の短いビデオをあまり感動もなく見ている。もう長い間文学系の本など読めなかった。
今年、モノを捨てる作業していて、この2013年のはじめから半年くらい間に、なんと20冊以上も新書を買っていたことに今さらながら驚いた。読んだのはわずか5冊ほど。あとはまったくさわっていなかった。
一人でなんとかしなければ、学ばなければという心と、それにまったくついていけない頭と体。 集中力が必要なことがもうこの時期何もできなかったのだ。
たぶん2年くらい前から顕著だったのだけれど。当然、仕事に影響が出て。
人格が変わってしまったような自分。
ひとつのことにハマると何時間でも飽きずにやっているとか、職場では「できる人」なんていわれていたかつての私はどこにもいない。
ただ溺れているものが藁をつかもうとするように、心理カウンセラーの癒しという言葉に吸い寄せられ、次々といろいろな人のサイトを訪れ、気になれば本を買ったりする。
それを、心のどこかで冷めた目で見ている自分がいる。
なにも出来ていないじゃないか
やっている「フリ」をしているだけで、実際はただオロオロと泣きくれながら一日が過ぎているだけだね
救われる方法があったとしても、私には無用の長物なら、 私は一生このままなのだろうか。
私にはこの辛さにはどこにも逃げ場がないのか。
死ぬ気などはなかった。
それでも、それしかないのか、という消去法で考えたときにこの概念が頭の中に現れてくるのを、とめられないことが恐ろしくてしかたがなかった。
この頃、に来たときから習慣になっていた早朝の散歩をしていると、東京育ちの私がときどきびっくりするような100年は下らないだろうという樹齢の木に出会う。お寺ばかりの街なので、一時間も歩き回っているとけっこうな頻度で見かける。
ほんのしばし純粋な感嘆のため息とともに見上げると、いつもは乖離している自分の気持ちが、自分の元にほんのつかの間もどってきてくれているようで、そんなときだけ、わずかに気持ちが慰められていた。
本当の自分になるために 2 - はじめた心との格闘と小さな命の仲間
本当の自分になるために 4 - ダブルバインド