階段のまんなか

東南アジアに渡った年ついに自分の心と向き合わざるを得なくなった。心理カウンセリング、ヒーリング、レイキ、瞑想など。最近は思いつくままいろいろと。

オランダ行きとイメージトレーニングと体の声 1

オランダ行き断念しました。

 

あれほど行きたかったのだけれど、やめると決めたら、やっぱりほっとしました。

つい一ヶ月前までは本気で行くつもりでした。

だから荷物整理のモチベーションもあがって、こちらで知り合った人たちにも伝え、さくさく準備も進み。

でも、結果的に、今の私にはまだリスクが大きすぎる、と最終的に判断することに。

 

イメージトレーニングをやったんです。

 

単純に、これからの現地の生活をエンパワーしたかったから。

こんな風に書くと、なんだかいつもやっているように聞こえるかもですが、実は大きな行動を起こす準備としてやってみたのは今回が初めてです。

 

きっと、未来の自分の生活を助けてくれるだろうと単純に思っていたところが、気持ちが180度変わることになったのは、本当に自分としては意外でした。

過去の私は、一度決定した“大きい”転換(会社をやめる、とか引越しとか)を、途中で気が変わってやめたことが、たぶん(悪い意味で)一度もなかったのです。

 

イメージトレーニングのあとの3日連続の悪夢

それが今回はイメージトレーニング。

そしてそれをはじめてから悪夢を見るようになったんですね。。

夢の中で、思いつく限りのマイナス材料に頭を抱えている自分。

 

高くなる生活費とか、英語以外の言語の苦労とか、ひどい役所対応とか、面倒なビザの手続きとか、土地勘のない場所で再スタートとか、それに都合上冬服を持たずに冬に向かうヨーロッパに行くとか(現地で最低限買うつもりでしたが)。

 

でもおかしい。どれも行くと決めたときに全部予想できていて、その上で覚悟ができたからこそ、決めたのに。

はじめは、たぶん一時的に新しい行動への不安が増幅されたんだろう、新天地移動ははじめてじゃない、どれも生活する上で慣れていくことだし、と昼間の思考では軽く考えていたところが、3日も続きました。

 

堪えたのは、夢の中では前向き材料を考えてみたりが(夢なので)できなくて、一方的にひたすら不安感や恐怖感にとらわれ続ける気分の悪さでした。

手出しができない強制ネガティブは辛い。夢の中の気分の悪さを昼間でも思い出すようになってきたころ、なにかおかしい、と思った。

 

体に聞く

「体に聞く」は三年前から私の日課になっているエクササイズです。

最近では本もウエブもたくさん情報があって、フォーカシングとか潜在意識ワークとか目にしたり聞いたことがある方が多いかもしれないですね。

 

私の場合、簡単にいうと、ストレスや不安、なにかもやもやした嫌な気持ちになったとき、それに対しての明快な理由や答えが見つからないときに、堂々巡りしている頭(思考)でなく、実際にストレスを感じている体(五感)(または無意識)に直接聞いてみよう、という自己流の自己対話エクササイズといったらいいでしょうか。

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私のは、既存のフォーカシングや交流分析の基本の考え方と仏教の瞑想に、一応施術者なのでレイキも加えてこの数年間やりながら自分のやりやすいやり方に自然になったものです。

 

と書くと、なんだかむずかしく聞こえるかもしれないですが、 やり方は単純なもので、かなりおおまかにはこんな感じ。

 

・まずはリラックスした体勢(できれば横になる)で深呼吸。

 

・ここで私はサマナ・ヴィパサナー瞑想を短くともちゃんととやる。

 

・そしてゆっくり、ストレスを感じているとしたら、体のどこで?と体に聞いていくんですね。ボディスキャンするイメージです。

(もう少し詳しい私のやり方などは、またの機会で書けたらと思います)

 

すっかり習慣になるほど何度も繰り返してきた自分との対話。

なにか体からの(無意識からの)サインなのかもしれない、夢というなんだか問答無用な方法で抵抗してくるもう一人の自分に、もう一度問いかけてみた。

そこであらためて出てきた声は、 

 

もうこりごり、でした。

 

やりたくないことをやめる

確かに、東南アジアで言葉が通じず(英語でコーヒーもう一杯が通じなかったときは途方にくれました)、不自由だったり苦労してきたこと、外国人であれば合法滞在でもビザの事務処理はいつも煩雑であること(実はこれが一番しんどかった)、をもう一度ふりだしからやろうとしているわけではあったのだけれど。

 

もうこりごり

 

当然このことについても、決定する前にはひととおり調べてます。

外国で生活するときは役所の対応は必ずついてまわるし、今までやってきたのだからこれからも自分ならできる、と生活するならあたりまえと、大きく問題視はしなかったですね。

 

もうこりごり

 

なんというか、でも、もうなんといわれようと、もう「嫌」なものは「嫌」だったわけです。(苦笑)

さすがに、コーヒーもう一杯くださいが通じないなんてことは、オランダやドイツではないでしょうが。

今いるところよりは、マシかもしれない。

でも、マシかどうかは、気がついてみればもうどうでもよかった。こりごりなのだと「今は」思っている。ここが一番重要でした。

それを、起きているときは気がつかないほどに、抑圧してた。そして、

 

いやなのに、やろうとしていた。

 

だから、あれほど体が拒否っていた。

ならば、それをやめることにしました。

 

やりたいことができるところ、本当に住みたいところ

今回の決定が、私の生活の場についての考え方をいっきに変えました。

変わったというより、本当の気持ちに一歩近づいたようなちょっぴり胸が暖かい気がしているのが嬉しかったりしています。

 

長くなってきたので、いったんここで切ろうとおもいます。 

 

オランダ行きとイメージトレーニングと体の声 2 

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