階段のまんなか

東南アジアに渡った年ついに自分の心と向き合わざるを得なくなった。心理カウンセリング、ヒーリング、レイキ、瞑想など。最近は思いつくままいろいろと。

持たない2016年の始動

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2016年1月7日、f:id:mokomarutan:20151113003607j:plainにさよならをしてきました。

 

一月のはじめにf:id:mokomarutan:20151113003607j:plainを出ると決めたのは、去年、日本に帰ろうと思ったときからなのだけれど、今までの教訓から、今回は予定を誰にも知らせませんでした。

ブログ的に、まだ大海原の孤島状態なので問題なかろう  との思惑にて、このブログだけの独占公開(大袈裟)、今はオーストラリアのケアンズというところに来ています。

日本に帰る前に、ケアンズに滞在するのには、来たかったというより、少々こみいった訳があるのですが、これについても、いつか書いていこうと思っています。

が、今はそんな理由はともかく。

 

人生初めての身軽さという蜜の味

日本からf:id:mokomarutan:20151113003607j:plainに来たとき、持っていた荷物は、船便で送った大きいダンボール6箱、飛行機で運んだ大型スーツケース1つと、大型手提げバック1つ。それに、現地で買ったコーヒーメーカーやらホットプレートやらスキャナーやら。それらをほとんどすべて処分。結果、f:id:mokomarutan:20151113003607j:plainを出るときには、最初のダンボール1箱、炊飯器くらいの小さいダンボール1箱(船便)、そして、中型スーツケースとパソコン周りしか入っていないリュック1つにまで減った荷物だけになっていました。

 

2012年に、日本には帰らないつもりで、日本にあった大型テレビもベットも冷蔵庫もすべて処分して、持ち物すべてを持ち込んで住み始めた場所。母が死んだ一年後の寂しさ、慣れない土地に住む不安感から、無意識に自分の城を築こうとするかのように、そして、皮肉にも、その持ち込んだモノという城壁に、鎖でつながれ自分の自由を結果的に奪って生きた場所でした。

 

不安感情が強いほど、人は自分の外側に厚いカラをつくろうとするそうです。ときとして、それは、社会的地位やお金、人脈や恋人、あるいは、ゴミ屋敷のようなモノに溢れた状態への強い執着という形となることがあるそうです。

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私がやっていたのは、まさにこれ。日本を出たかったのは、そんなしがらみから開放されたかった、自由に生きたい私のインナーチャイルドの気持ちだったと思えます。そして、モノに埋もれさせて、城壁を築き、誰ともつながろうとさせなかったのは、まだこの頃、私自身にまだ認識すらされていなかった私の頭の中の"インナーペアレンツ”や”人生脚本”といわれる自動プログラムの存在が。この自動プログラムは、ありのままの私(チャイルド)を封じ込める役割をしてきたわけです。

 

以前は猫を飼っていました。結婚と同時に飼い始めた猫は、離婚してから私の唯一の同居人となり、18歳まで生きて、それはたくさんの愛を注いでくれました。そして、これもやっぱり私を覆う厚いカラの一部だった、と今では理解できます。

 

一人暮らしで猫がいると、生活の機動性は著しく下がります。人付き合いや旅行から足が遠のき、部屋にこもりがちになっていく中、猫だけを心の拠り所にする執着の愛情は、猫にとっては重い依存の愛だったに違いないでしょう。長い間、私の依存に耐えてくれたふわふわの姿、今はたぶん虹の橋のたもとで、病気や老いや、身勝手な人間の束縛の愛からも自由になって、遊びまわっていてくれるだろう、と思いをはせます。

 

依存する、それは、同時に自分を固く檻に閉じ込める自分による拘束。なにもかも、無意識だからこそ、気づくまで永遠に陥っていく負の螺旋。


その私が、長い人生の果てにたどり着いた東南アジアの片隅で、ずっと抱えていたモノをほとんど捨てました。

子供の頃の写真は、スキャナにすべて取り込んだので、捨てたというには、少しチート気味だけれど、そのおかげで、ずっしりと重いダンボールの数箱となっていた写真やアルバムを処分することができました。

あの、"ありがとう”の儀式を済ませると、不思議なほど心はおだやかに。

今までにないほど未練なく、子供や学生時代、結婚前の思い出深い大切な写真をこの手で一枚一枚破っていきました。そこにはもう未練も涙もまったくありません。

 

今回、写真だけでなく、身の回りのものを捨てた結果、40Lのゴミ袋にして20袋近くになったかもしれない量。これを、日本でなく、縁もゆかりもない土地で捨てていくほどに、驚くほどだんだん心が軽くなっていくのを味わっていました。もう、本当に身の回りのものしか持っていません。

人生でたぶん初めて味わう身軽さという爽快感。それは一度味わったら決して忘れられない蜜の味ですね。

 

記憶とモノ、蘇った記憶と失せた執着

スキャンするとき、偶然にも私の生きてきた年代をさかのぼるように写真をスキャンしていったのが、じつはとても大きかった。

 

亡くなった人や縁の切れた過去の関係は、とかく、なぜか美しい思い出ばかりを装飾しがちな私。いわば架空の記憶を勝手につくり上げて、その架空の記憶をいつまでも引きずるわけです。それが、スキャンするために古い写真を一枚一枚手にとって見ることで、過去に起こった忘れていたような出来事が、意図せず事実に近い状態で突然思い出される。不思議な感覚でした。自分が勝手につくりあげていた、または思い込んでいた架空の記憶が間違ってた、と知るたびに、思いがけない心の癒しになっていきました。

 

過去の自分など責める必要などまったくなかった、という何度もやってくる気づき。今度はとても大きい理解…

 

自分を責め続けている間は、同じ方法でずっと人を傷つけている、

それは同時に身震いするような認識も。

 

だって、どうしようもなかったじゃない

幼い私にはどうしようもなかった

そう、だから、それは、私を傷つけてきた人たちにとっても、どうしようもなかった

彼らも、私を責めるその言葉で、自分自身を責めていた人たちだった

 

f:id:mokomarutan:20151113003607j:plainからケアンズまでは直行便がなく、乗り継ぎになります。東京からケアンズへは直行便があって、それゆえに割安です。そのため、その格安チケットを利用すれば、一度日本に帰って日本からケアンズに向かっても、あまり金額的に変わらなかったため、いったん荷物をさらに少なくするためにも日本に一度帰国することにしました。

 

 

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