本当の自分になるために 1 - 気持ちを認める
2013年の6月、私は、パソコンもスマートフォンも持たず、たくさんの本とノートと、ビデオカメラだけを持って、ラオスの世界遺産都市ルアンプラバンに旅立っていた。
この半年前の12月。
49才の誕生日を私は一人のアパートの部屋で迎えたところだった。
その日、私はまる一日ベットに横たわり、何も食べず、飲まず、ただ枕に頭をすっぽりうずめるようにしてまるくなり、窓の外が薄明るくなり、やがていつもの喧騒の音が響き出して、そして夕日のオレンジが締め切ったカーテンの隙間を焼き、そのうちどこも真っ暗闇になっても、まだそのままじっとうずくまっていた。
なにもしたくない。
何も考えたくない。
ただ、とぎれとぎれに訪れる眠りの世界だけが与えてくれるわずかな心の平和にしがみつくように。
なぜかこの前後する数年間、私はほとんどはっきりした夢を見ることがなかったのは、不思議なことだった。
まるで、昼間の頭と心の中が疲弊しきっているのを、誰かが無理やり休ませてくれるかのようで。
ただ、たいがい、そんなときは、いまはいない母の顔だけ、スライドの一枚だけ切り取ったように、浮かんでは消えていく。
このときも、窓の外の色が変わっているのに気づいて、ああ眠ったのかと思う。
この日を境に、私は自分には助けが必要だとやっと本気で思い始めていた。
明日を迎えるためだけの学び
両親はすでに他界。配偶者もこどももいない。
ずっと、一人で生きていける。誰にも頼らないで。
そう思って生きてきたのは、人に助けを求めてはいけない、と頑なに思って生きてきたから。
いつから、そう考えるようになったのかはわからない。
助けを求めてはいけない。
声上げてはいけない。
(一人で静かにしていなければいけない)
でも、どうしてこんな苦しまなければいけないのか。
この頃、いつも繰り返していた
どうして私だけ
という思い。
人に助けを求められないと、人は一人でどんどん抱え込む。
このとき、限界だと思ったことで、やっと初めて自分の心を正面から受け止めて聴くことができた、ということであれば、それはやっぱり、ある意味救いだったのかもしれない。
「苦しいのはあたりまえ」
「これくらい耐えろ」
「一人で解決しろ」
こんな言葉は頭をいつも占めていた。
自分では気づかないほど、慣れ親しんできた言葉。
ひとたび、気持ちに白旗を掲げたからなのか。不思議と、そのあとは、迷うことなく行動を起こしていた。
この、息が詰まるような窒息感をとりのぞけるのなら、なんでもする、と。
調べ、ブログを読み、書籍やビデオを取り寄せる。
初めて知る言葉たち。
共依存、ゲシュタルト、こどもの頃の記憶。
そして、インナーチャイルド。
2013年頃描いた絵
知識を得ようとしているときだけ、やっと息ができるような気がしていた。次の日を迎えるためだけに、学んでいった。
本当の自分になるために 2 - はじめた心との格闘と小さな命の仲間