霊気を感じるとき
いつも住んでいるところでない、近くの国のある街でこのブログを書いてます。
住んでいるアパートのある街では、最近は日中でも結構日差しが和らいで涼しくなってきていたのだけれど、そこから少し内陸に入るのこの国ではまだまだ刺すような強い日差で、真夏の東南アジアに逆戻りのようです。
この国のお祭りがあったようで、夜遅くまでホテルの窓越しに伝わるのは、カラオケや爆竹の音やバイクと歓声の声。
レイキの「気」はじつは誰にでも出ているもの。
世の中に存在する様々なヒーリングの知識を知らなくても、もともとの才能や体質で自分や人を癒せる人がいることはよく知られてます。
私はこどもの頃から、なんのへんてつもない日常生活の中で、印象に残るほど強い「とても心地よい気」を出す人を強く認識していたのを覚えています。
ただ、周りは誰もそんな話をしないし、テレビでも学校でも教えてないし、なぜこの特定の人たちから、なんだかすごく強い「なにか」を感じることがあるのか、わからない。
でも、他の人や出来事と明らかに違うのは体感で感じ取っていて、誰にも話してみることもないけれど、「あ、まただ。この人も“その種類の人”だ」と大事に心にしまっておいた。
たいがい、袖擦りあうなんて古風な言い方が似合うような日常生活のたわいのない接点でほんのつかの間起こっていました。
レイキは自分で自分を癒せると、最初に聞いたとき、まっさきに思い浮かんだのがこの過去のひとたちとその人たちの発散する強い「気」またはエネルギーの心地よい記憶でした。
これがたぶん、私がレイキのトレーニングを受けるとき当然のように自然に受け入れることができた一番の理由だったと思います。
その癒しの力の心地よさを、私は疑問をもつことなくもう知っているよと確信していたからでした。
ホテルの部屋の壁にかかった絵